秋田商工会議所青年部

平成20年度卒業式開催

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去る3月18日(水)に平成20年度秋田商工会議所青年部の卒業式が開催されました。

下記は卒業生 石垣宏さんによる答辞です。

    暖かで柔らかな光が降り注ぐこの季節。長かった冬の終わりと春の訪れを実感出来る、雪国に暮らす私たちには最も嬉しく心躍る季節を迎えました。  この嬉しい時期、また新しい年度を控えた多忙な時期に、私ども平成20年度秋田YEG卒業生4名にこの様な盛大な卒業式を開催頂くとともに、先ほどの心温まる送辞を頂戴致しましたこと、誠にありがたく存じます。  卒業生を代表して御礼申し上げますとともに、答辞を述べさせて頂きます。   私ども4名は、昭和33年に生を受けました。3丁目の夕日・オールウェイズの世代であり、東京タワーと同い年でございます。  テレビも当時はモノクロで、カラー放送は小学校低学年の頃ではなかったかと思います。アニメや漫画なども殆どがオリジナルのものが始まった時代であり、家電製品なども現在の原型となるものが家庭に普及し始めた頃であったと記憶しております。  私は大館生まれですので、秋田市とは事情が異なるのでしょうが、物は少なく、舗装道路さえも珍しく、車も非常に少ない、まるで吉 幾三の歌の様な時代でしたが、高度経済成長と共に変化して行く日本の姿を伝えるニュースが驚きであり、新鮮でもありました。そんな状況とは全く関係なく、ひたすら遊びに熱中した子供時代は毎日がただただ楽しく、一日が過ぎるのがあっと言う間の日々だったのは私だけ、いや恐らく4人とも同じだったのではないかと思います。後悔先に立たず。もうちょっと勉強すれば良かったかなと悔いが残ります。   そんな私達も社会に出て約四半世紀、すっかりオヤヂとなりましたが、様々な人たちとの出会いを経て今の自分があるのだということを実感しております。  諸先輩をはじめ、同期の方々、年齢で言えば後輩となる方々などなど、様々な出会いがあって今ここに立たせて頂いているものと改めて感謝申し上げます。   私が秋田YEGに入会したのは平成14年、独立してから7年目・44歳の時ですから、比較的遅い部類に入るのではないかと思います。それまでは、前だけを見てひたすら歩き・走り続けていたのですが、入会をきっかけに様々な業種の方々と会話を交わし、酒を酌み交わすうちに一息付いている自分に気付きました。特に取り得も無く、話下手でネタも持たない私ですが、委員会や例会などを通じ皆様の輪の中に居ることで、ほっとする安らぎを覚えておりました。そのような場を与えていただきまして本当にありがとうございました。   さて、100年に1度なのか、永遠に続くのか私には知る由もございませんが、各メディアには“不況”“景気低迷”という言葉が連日お題目のように登場致します。中学生の授業で教わった世界恐慌はもちろん実体験ではございませんが、それでは過去、自身の仕事で好況の時はあったのだろうかと振り返って見ますと、残念ながら私の記憶には登場致しません。業種による業績の波はあるものと考えますが、全体的な状況は過去から現在まであまり変わっていないのではないかと考えます。いささか乱暴ですが、好況の時などなかったと言えます。  景気停滞を社会や政治、他人のせいにしても何の解決には至りませんので、自らが考え自ら行動することこそが、変動の荒波を乗り越える唯一の手段であるものと考えております。  生活者の欲求が日々変化するように、商いも企業もまた日々変化・進化する事が求められるものと考えます。  幸いなことに、秋田YEGの結束は非常に強固なものであると言えます。  『不況知らずの秋田を創る!』その先頭に立つのは秋田YEGをおいてございません。『突き進め時代の荒野を!掘り起こせ魂のシャベルで!』今年度のスローガンの通り、秋田YEG会員皆様の魂・英知を結集し、時代に合わせて変化して行く事がその契機となるものと信じて止みません。  卒業致します私ども4名は、入会年度や経歴は様々ですが、心はいつまでも、どこにいても秋田YEGです。  『いざ鎌倉』・・・ならぬ、『いざ秋田!』の際には、いつでも馳せ参じる事をお約束申し上げます。  逆に・・・心が折れそうな時には、出来れば暖かくお声を掛けて頂き、さらに飲み会のお誘いなど頂ければ大変ありがたく心強く存じます。  どうかいつまでも伸び代を持った、いや、伸び代の方が多い秋田YEGでありますことをご祈念申し上げて答辞とさせて頂きます。  ありがとうございました。          平成21年3月18日平成20年度卒業生代表石垣 宏